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【 最優秀賞 】

最優秀賞 「ロックを止めないで」 西尾 実優(北海道札幌啓成高等学校2年) 

二年ぶりの通常開催となった学校祭は異例の盛り上がりを見せていた。
 私と先輩が体育館に行くと、観客の生徒はもう席についていた。見た限り満員だ。私と先輩は体育館の後ろの方に立ち、意味もなく壁にもたれた。ステージ部門のたび放送委員が数人配置されるのは、機材トラブルに対応するためらしい。一枚百円のチケットを買わずに見られるというのは些か得をした気分だった。
「あのギターボーカルの子、友達なんだっけ?」 
 先輩はそう言って、まだ薄暗いステージの上を指さした。意識の外側から飛んできた言葉にどきりとして、肩が少し震えた。
「え、なんで知ってるんですか?」
「前に言ってたじゃん。同じ中学だった子が有志バンドやるんです、って」 
 そんなこと言っただろうか。全く記憶に無い。言っていたとして、どこまで話したのだろう。 
 ギターボーカルの子、流香とは確かに同じ中学からの友達だった。三年間同じクラスで、きっとお互い、親友と言っても差し支えないような関係。否、関係「だった」と過去形を補うのが適切だろうか。
 私と流香はもう一年以上まともに会話をしていない。
「ロックだなぁ、お前の友達。金髪だし、ピアスもバッチバチに開いてるし。痛くねえのかな、あれ」
 先輩は呟く。私は袖に見える流香の、米粒よりも小さくしか見えない耳朶に目を凝らしながら、
「元々、周りの目とか気にしない子なんです。私とは真逆のタイプで」
 とマウントじみた言葉を添えた。
「お前はロックに生きなくていいんだ?」
 先輩は私をからかった。言い返そうと口を開いたが、途端、体育館の照明がふっと落ちた。それと入れ替わるように、後方にセットされた特設のスポットライトがつく。円形の光が交差し、ステージに立つ暗闇の中に楽器を持った男女の姿が浮かび上がった。流香を含めた四人のメンバー。私は息を飲む。
「学校祭、盛り上がってますかーっ⁉」
 マイクを通して聞こえてきたのは流香の声だった。生徒たちは、うおおっと大きな拍手でそれに応えた。ペンライトみたいなものもちらほら見える。
「じゃ、早速一曲目、行きまーす!」
 今度は手を叩く間も無く、流香の手にしたギターが一度だけ鳴る。それからドラムスティックのカウントの後、体育館は突然ビリビリと揺れた。
 曲は一曲目から飛ばしていた。激しい曲調に、圧倒的なその熱量はステージ下にいる私たちにまで十分に伝わる。
「……上手いな、ギターも歌も。まだ一年生なのに」
 
先輩がぼそりと呟いたのを、私は聞き逃さなかった。黙って頷く。
 流香のギターボーカルは、素人目から見ても上手かった。声はよく出ているし、指も忙しなく動く。私から見た流香はせいぜい「運動神経抜群」くらいだったので、こんな特技があったのかと呆気に取られた。
 でもそれ以上に驚いたのは、流香の顔つきだった。あんな顔をする奴だったろうか。まるで別人のようだ。前までの彼女からは想像できないほど凛々しく、それでいてどこか艶めかしい。その視線の先には誰がいるのだろう。少なくとも私ではないことは確かだ。
「眩しいですねえ」
 ね、先輩。私は斜め上にある瞳を見上げ、共感を求めた。先輩はそれを鼻で笑った。
「憎いんだろ?」
「まぁ、そりゃあ。一番の友達でしたから」
 自分から聞いてきたくせに、先輩は興味なさげに顔を背けた。
 私は先輩の、こういう、ひねくれているところがとても好きだ。良くも悪くも飾り気のない人というのは、彼のような人を表すのだと思う。恋愛感情とは違う、人間的に真っ直ぐな好意を持てる。
 私は笑って、ぐっと伸びをした。体の力が抜けて床に座り込む。流香の歌声が、ギターが、体育館をビリビリと揺らす。床越しの振動で体が痺れそうだった。
 体育座りで膝を抱え、呆然とステージを眺める。その姿勢は、私の記憶を一年前の夏へ無理やり引き戻した。炎天下、じゅわっと熱されたタータンの熱さ。日差しがうなじを突き刺す感覚。汗と涙とで訳の分からなくなった、私と、流香の顔。
 中三の最後の大会だった。
 突如として流行り始めたウイルスに人々は多くの当たり前を奪われ、それは私たちの所属していた陸上部も例外ではなかった。
「流香みたいに走ってみたくて」。
 大きく削減された大会出場枠の中で、私はギリギリその枠へ滑り込んだ。流香より半年遅く入部した私が勝ってしまった。
 私は流香の努力を何より分かっていたし、正直な話、彼女ほど陸上に本気では無かった。だからこその後ろめたさがあった。彼女に何度もアドバイスをしてもらった。顧問の期待や記録など、そんなものは何にもならない気がした。
 あの夏から何となくお互いギクシャクしてしまって、高校生になった途端、関わりはパタンと絶えた。高校も同じところを選んで受けたわけではない。高校生になったら離れられると思っていたのに。
 璃子は辞めないで。走るの、辞めないで。才能があるんだから。私はここまでだけど、璃子はまだどこまでも走っていける。
 引退式の後、二人きりの帰り道で泣きながらそう言った流香を、私はまだ覚えている。
 流香が言った通り、本当にどこまでも走っていけたらどんなに良かったか。私はまだあの夏から立ち止まったままだ。結局、流香の方が私より幾分か進むのがはやかった。
 生徒たちは熱を上げていく。流香も他のバンドメンバーも喉を軋ませながら声の限り歌い続ける。
 変わったなぁ、流香。
 悔しかった。走る流香を初めて見たとき以上に。けれど、今の方が輝いているとも思った。髪の毛は明るい色に染められて、スポットライトを受けて光るそれは金糸のようだった。
 流香は変わった。挫折の夏を抜け出して、彼女が手に取るのはもうタスキでは無い。
 それでも流香は私の前を走り続けていて、私はいつまでも、その背中を追っている気がする。タイムとか順位とかそういったものの外側で、流香は私のずっと先を行っている。私の行動の根元には必ず彼女の姿がある。
「……やっぱり、憎いな」
 流香のことが、心底羨ましい。
 私はきっと一生、この人には追いつけないだろう。
 そう思うと、胸の奥がチクリと痛む。この気持ちを誰かに分かってもらいたくてたまらなくなる。気がつけば、一曲目は既に終わっていた。体育館全体、余韻が尾を引いている。誰かが何かを喋る熱気の中で、私はひたすら自分と向き合っていた。
 お前はロックに生きなくていいんだ? ーー私はこのまま生きるのか。変わらない、変われないまま。
 私は自分の足を見下ろし、勢いよく立ち上がった。
 諸行無常という言葉があるように、誰もがずっと同じであるわけが無い。そうして変化を経た流香の姿も私は十分に好きだ。だからこそ、次にスタートを切るのは私だという気がしてならない。
 まだ大丈夫だ。走れる。そう自分に言い聞かせてみる。
 流香と話し合う機会は、分かり合う機会はもう無いかもしれないけど。中学生の頃みたいに笑い合うこともないかもしれないけど。
 そんなことを考えていると、耳を劈くギター音と共に二曲目が始まった。
 熱を持つ何かが私の胸の中でじくじくと燻っていた。本当は叫び出したい気分だったが、ウイルスの四文字により制限されているのがもどかしかった。立ちくらみを抑え、他の生徒と一緒になって手を叩く。
 流香のピアスが、汗が、小さな飛沫のように光るのが見えた。ラメみたいだ。キラキラ、なんて言葉では足りないほど。
 音の渦に身を埋めながら、私は流香を追い続ける。中学生の頃の自分が、少しだけ救われる音がした。

 

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