古沢一生(群馬・前橋育英1年)は、持ち前のスピードを生かした助走と華麗な跳躍が魅力のポウルター(棒高跳び選手)だ。中学時代から好記録を連発し、高校進学後も快進撃は続く。特進コースに在籍し、勉強も優秀な「文武両道」を地で行く面も持つ。高校男子棒高跳び界に出現したスーパールーキーが、インターハイの同種目史上初となる1年生王者を目指す。(文・写真 小野哲史)

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関東大会で4㍍80を跳び、3位でインターハイ出場を決めた古沢一生

 中学時代から5㍍超え

古沢は、中学時代から十分すぎる実績を積んできた。全国中学校大会で2連覇。今年2月のU20日本室内陸上大阪大会では、中学生で史上初の5メートル超えとなる5メートル05の中学新記録をマーク。さらに今春、前橋育英に進学してからも、その勢いは止まらない。4月に2度の5メートル超えを成功させると、5月の県大会はチームメートの柄沢智哉(1年)とともに4メートル90を跳び、優勝した。

6月の北関東大会は堂々のランキング1位で迎え、1年生ながら優勝候補の最右翼に挙げられていた。「大会記録の5メートル06を跳ぶ」と意気込んで挑んだ古沢は、4メートル60を1回でクリアしてインターハイ出場を決めると、「体力を温存して」試技のパスを織り交ぜ、ターゲットを記録更新に絞った。扱いが難しい反面、より反発をもらえるポールに替えて臨んだ4メートル80の1回目は「うまく幅を出せずに失敗した」ものの2回目で成功。すぐに修正できる対応力の高さも見せた。しかし、4メートル90をパスした後の5メートル00をクリアできず、最終結果は3位。「勝てなくて悔しい」と肩を落とした。それでも「県大会のように、前半の試技で3本目でクリアしなければいけない状況になって体力を消耗してしまうことはなかった」と収穫もつかんだようだ。

スピードと切れ磨く

棒高跳びとの出会いは小学4年のとき。近隣の吉岡町にある棒高跳び専用室内施設を本拠とする「ベル・アスレチック・ジャパン」で本格的に競技を始めた。関東大会では上位6人中5人を群馬勢が占めたが、柄澤らそうしたライバルの多くと、古澤は「ベル」でしのぎを削ってきた。現在も平日は学校で体力や走力アップに努め、土日は「ベル」で技術練習に励んでいるという。

古沢の武器は、ほかの選手にはない助走スピードとキレ。しかし、その部分に甘んじることなく、高校入学後もより高く跳ぶための強化に力を注いできた。「助走の走力や入りの高さをレベルアップさせました。腕も鍛えて筋肉をつけ、中学までは使えなかった15.7フィートの硬いポールを使えるように取り組んできました」と語る。

「大事な場面で跳べたり跳べなかったり、安定していない点が自分の課題」と自己分析するように、まだまだ改善点はある。しかし、インターハイでの目標は明確だ。

「決勝の舞台で、尊敬している江島(雅紀)さん(現日本大学)が持つ高校1年生の最高記録5メートル20以上を跳んで、優勝できたらと思っています」

過去のインターハイの棒高跳びでは、1年生の最高成績は2位。中学記録保持者の古沢が、大会史に新たな1ページを記す。

【ふるさわ・かずき】
 2002年7月5日、群馬県生まれ。高崎新町中卒。小学4年で群馬県スポーツ協会の「スーパーキッズプロジェクト」に選ばれ、棒高跳びを始める。2017年日本ジュニア室内陸上大阪優勝、18年U20日本室内陸上大阪優勝。168センチ、55キロ。