全国高校総体(インターハイ)陸上の男子棒高跳び決勝が7月30日にNDソフトスタジアム山形(山形県天童市)で行われ、ただ1人、5メートル00を成功させた石川祐介(香川・観音寺一3年)が初優勝を飾った。(文・小野哲史、写真・幡原裕治)
冬に背中の筋力鍛えた成果
5メートル以上の記録を持っていた選手は5人。その1人でもある石川は「ギリギリの戦いになる」ことを覚悟していた。決勝の開始となった4メートル70は1回でクリアしたものの、4メートル85は2回目、4メートル90に至っては3回目でなんとか成功。「チームメイトからは安定した跳躍ができると言われます」という持ち味は、必ずしも発揮できていたわけではなかった。
しかし、3人が挑戦した5メートル00は、石川だけが鮮やかに飛び越え、結局それが優勝記録となった。かつて観音寺一で監督を務め、現在も指導を受けている詫間茂先生からは「5メートル00でようやくちゃんとした跳びができたな」と褒められたという。
「冬季にウエイトトレーニングに取り組んだ成果だと思います。背中の筋力がアップし、それによって硬いポールを今まで以上に使いこなせるようになりました」
学校初のインターハイ制覇
最後の5メートル05で競い合ったのは、森田凌世(香川・高松一3年)だった。棒高跳びが盛んな同じ香川ということで、6月にも県大会と四国大会で優勝を争っている。2つの大会では1勝1敗。中学時代から知るライバル同士だが、全中王者の森田は石川にとって、「良い刺激を与えてくれ、頑張ろうという気持ちにさせてくれる存在」だ。最終的に互いが5メートル05を成功できず、石川は「自己新を出せなかったことは悔しい」と語ったが、森田に競り勝っての日本一は、今後に向けても大きな自信になったに違いない。
1970年代から80年代にかけて、詫間先生のもとから4人(5回)のインターハイ王者が生まれたが、いずれも香川・三豊工の選手だった。そのことを知っていた石川は「今まで観音寺一からインターハイで優勝した人はいない。それを初めてできたのでうれしいです」と胸を張った。
香川勢、そして観音寺一の選手として、石川は高校棒高跳び界に新たな歴史の1ページを刻んだ。