中学・高校と全国大会の出場経験がなく、全国的には無名ながら今年度のバスケットボールU-18(18歳以下)男子日本代表に選出された村岸航(埼玉・県浦和3年)。県屈指の進学校の部活で活動しており、強豪校の選手に比べて経験や練習量ではかなわない。いかにして代表の座を射止めたのかを聞いた。(文・青木美帆、写真・幡原裕治)
中学では実績なく
高校卒業後に大学トップレベルでのプレーを希望している村岸は、7月のチーム引退後も現役時代と変わらず部活に打ち込んでいる。194センチの長身で速攻の先頭を走り、ダイナミックなレイアップシュートやキレのいいジャンプシュートを次々に沈めていく。何より目につくのが独特のタイミングで繰り出されるパス。「あのパスは、なかなか出せるものではないですよ」。中田寛監督も目を細めて教え子のプレーを見守る。
中学時代の最高成績は市ベスト4。県選抜の経験もない。高校でも、特に大きな目標や期待を抱くことなくバスケ部に入部したが、入部直後の全国高校総体(インターハイ)県予選で強豪相手に2点差の接戦を経験したことで「本気でやってみよう」と意識が変わった。
初めてセレクションに選出されたのは高1の冬。関東地区の有望な選手が集まる育成キャンプ「U-18関東ブロックエンデバー」を皮切りに、翌年3月には全国規模の「U-18トップエンデバー」にも参加した。ここでMVPを獲得した村岸は、U-18日本代表候補に追加招集されることとなる。
「戦術理解」をアピール
候補合宿には、高校生ながらフル代表入りした八村塁(宮城・明成3年)ら、全国トップレベルの精鋭が集う。全国上位を目指して日々奮闘しているほかの選手の走力や運動量にも圧倒された。練習時間1時間半、インターハイ出場が目標という環境では、とても太刀打ちできない。
「コーチの話していることをしっかり頭に入れて、どう体現するかだ」。U-18代表では国際試合を想定し、少ない得点機会を生かす緻密なチームオフェンスが求められるが、その成功には選手の戦術理解が必要不可欠。合宿を経るごとにメンバーが絞られていく中、村岸は必死にコーチの言葉に耳を傾け、要求に応えるプレーでアピール。その結果、12人の最終メンバーに食い込んだ。
今年8月の「日・韓・中ジュニア交流競技会」では、最終戦の中国戦で約20分のプレータイムを獲得。「中国と韓国の選手は、2メートルクラスでも普通に3点シュートを打ってくる。衝撃的でした」と、初めての国際大会を振り返った。
見えた課題、これから克服
強化合宿を含め約半年間の代表活動で、さまざまな課題が生まれた。体のキレ、走力、ディフェンス……。特に痛感した体の細さは、朝昼夕の3食に3回の軽食を加えることで改善中。6キロ増まで成功した。
「勉強をするために(県浦和に)入ったけど、バスケでこういう形で頑張れて、代表に入れるまで成長させてもらえるなんて、入学した時は想像もできませんでした」。当面の目標にユニバーシアード日本代表を掲げる村岸のバスケット人生は、ここから本格的なスタートを迎える。
高校でチームプレー学んだ
1年生の総体予選で手ごたえ
──中学時代はどのようにバスケットボールに取り組んでいたのですか。
中学の部活には専門の顧問の先生がいませんでした。(チームに)経験者も2、3人くらいしかいなくて後輩もあまり入ってこなかったので、強くなかったですけど、そのおかげでポジションを固定することなく自由にプレーできていた。「でかいわりにボールハンドリングがいい選手」くらいにはなれたのかなと思います(中学3年の春時点で185センチ)。
──高校でも競技を続けます。
「(入部する前は)進学校だし、そんなに強くないんだろうな」と思っていました。でも、入ったらうまい先輩たちがいた上に、1年生のときから試合に出させてもらって、(インターハイ県予選で)新人戦県2位のチーム(慶応志木)を相手に10点差を詰める経験をさせてもらいました。最終的に2点差で負けたけど、この試合で「浦高はここまでやれるチームなんだ。これからどんどん頑張って強いチームにしていければいいな」と思ったんです。
頭と目で勝負
──県浦和ではどのようなバスケットを学びましたか。
チームプレーです。中学の時は何も考えずにプレーしていたけど、高校で先生方がていねいに指導してくださったおかげで、判断力やパスの技術が伸びたと思います。県浦和のバスケはセットプレー(フォーメーションを)をたくさん使って、いかにフリーの状態でシュートを打てるかを考えるスタイル。先生がよく「目と頭をきかせたバスケ」という言い方をします。ほかの高校の走りまくるスタイルに対して、頭をきかせて勝負することを学びました。
自分と同じくらいのサイズのチームメートがもう一人いたので、ポジションは4番(パワーフォワード)か3番(スモールフォワード)です。強豪チームと対戦すると、ガードが相手ディフェンスのプレッシャーにあおられてボールを運べないことがあったので、自分がその役割になることもありました。
勉強も行事も全力
──部活以外での思い出は。
「勉強も部活も行事も全力でやる」というのが学校のモットーです。部活の時間は部活を全力で頑張るし、練習前に時間があるときは課題をやりました。部活後も午後9時くらいまで学校に残って課題をやったり予習をしたりしていました。文化祭や体育祭の準備も楽しかったですね。文化祭では、恒例行事の一つだったフォークダンスが去年から復活したんですが、自分は女の子を誘えなかったし誘われもしなかったので、仲のいいクラスメートと踊りました…(注・県浦和は男子校)。
学校生活で特に思い出に残っているのは、1年生の臨海学校です。新潟の海で遠泳をするんですが、実は自分、全然泳げなくて、「けのび」で4メートルくらいしか進めないくらいだったんです。臨海学校前にテストを受けたときも、ふざけていると思われて評価すらつけてもらえなかったんですが、朝練の特訓で頑張って練習して、2カ月で平泳ぎだけはなんとか泳げるようになって、遠泳当日もノルマの1キロを泳ぎ切ることができました。
恵まれた「目」を持つアスリート
【取材後記】
「村岸は目がいいんですよ」
取材が終わり、勉強のため教室に戻るという村岸と別れたあと、中田寛監督が話してくれた。
「インタビューで『コーチの言っていることをよく聞いて、それを体現しようと努力しようとした』と言っていたじゃないですか。そこが今回代表に選出された大きな要素だと思うんです。ほかの強豪校や大学のコーチからも何度か『(村岸は)ほかの選手と目が違う。ほかの選手は自分の言っていることが分かっているんだか不安になるけど、村岸はこちらの言っていることを理解してくれているのがよく分かる』と言われたことがあります」
記者の質問に対しても、丁寧に言葉を選びながら回答する。分かりにくい質問に対しては、きちんと内容を問い直す。「学校の成績は下のほう」と頭をかく村岸だが、さすが県内一の進学校に合格しただけのことはある。
バスケットの能力にも非凡なものを感じた。村岸のプレーを見たのは、実は取材に訪れた日が初めてのこと。正直実力に半信半疑なところもあったが、プレーを一目見ただけで「なるほど」と納得できた。
本文でも触れたが、特にパスがいい。中田監督はこのことについても「村岸はパスが『見える』」という表現を使った。
「うちのチームが単なる走り合いっこでないバスケットをできたのは、彼のパスセンスがあったからこそです。ボールを一度村岸に回すだけで、必ずオフェンスがよくなりましたから。村岸がいたから、ゴール下に突っ込んでつぶされるというバスケットではないものができました」
練習時間を1時間半から2時間しか取れない環境で高校3年間を過ごした。肉体改造に励んではいるものの、同世代のトップ選手に比べて圧倒的にフィジカルが弱いという自覚もある。
大学以降での伸びしろが相当に大きいとも表現できる村岸航、18歳。明言を避けた“2020年 東京”を含め、広い可能性をその瞳でとらえてほしい。(青木)
- 【むらきし・わたる】
- 1997年7月28日生まれ。埼玉県出身。さいたま八王子中卒業。県浦和での最高成績は関東大会予選、インターハイ予選、全国高校選抜優勝大会(ウインターカップ)予選でいずれも県5位(全て今年度)。目標はレブロン・ジェームズ(NBAクリーブランド・キャバリアーズ)のように体が強く、どのエリアでもプレーできる選手。194センチ84キロ。身長は今も伸びている。